週刊女性に食べる純炭きよらの原材料が紹介されました
「食べる純炭きよら」の原材料である純炭は竹炭や備長炭の粉末ではありません。
食品添加物にも使用させる結晶セルロース(食物繊維の一種)を電気炉で衛生的に焼成した
安全安心なダイエタリーカーボン「純炭」を使用しています。
このダイエタリーカーボンが2月12日発売の週刊女性で紹介されました。
ダイエタリーカーボン純炭をご紹介くださった細野周作先生は東京医科歯科大学をご卒業後、
東大病院で研鑽をつまれた超エリート。
西洋医学だけでは治療が難しい病気に対して、
最新の栄養療法やメディカル矯正PANセラピーといった様々な方法を取り入れ、
患者様本位の医療を実践されています。
細野先生のように病気の部位だけでなく、患者様の身体(時には心も含めて)を総合的に診る医療を統合医療と呼び、
欧米では盛んにおこなわれています。
ところが西洋医学中心で診療科別に細分化された日本の医療システムでは様子が異なります。
たとえば心療内科と精神科。
患者の側から見ると同じような診療科ですが
医学の世界では、
心療内科は心身症を診る診療科、精神科は神経症やうつ病などの精神障害を診る診療科と区別されています。
では、心身症と精神病は何が違うのでしょう?
心身症とは「器質的ないし機能的障害が認められる病態」と定義されており、
臓器に物理的な異常や機能的異常(働きが落ちているなど)がある場合に限られます。
ですから、レントゲンや検査で臓器の異常が認められなければ心療内科では診てもらえません。
一方、精神科では心が治療の対象であり身体の異常は治療してもらえません。
対照的に統合医療では心も身体も差別なく全体を(マクロ)に診断し、
治療法も西洋医学+代替医療(針灸や整体、アーユルベーダなど)を組み合わせて
身体全体の機能を正常化していこうとするものです。
欧米で推進されている統合医療が日本ではあまり知られていないのはなぜなのでしょう?
原因の一つは健康保険制度があります。
西洋医学には健康保険が適応されますが、代替医療の大半は健康保険が使えません。
西洋医学に保険がきかない代替医療を組み合わせると混合診療となり、
治療全体が健康保険の適応外になってしまうのです(全額患者負担)。
自由診療のクリニックと聞くと金儲け主義のドクターと金持ち患者を連想してしまいがちですが、
あらゆる手段を使って患者様の健康を取り戻したいと考えている素晴らしいお医者様も
沢山いらっしゃることを知っていただきたいと思います。
そして、日本でも混合診療が解禁され、統合医療が広く普及することを願っています。
- この記事を書いた人
- 純炭社長:樋口正人
株式会社ダステック代表取締役社長。
1985年3月:千葉大学大学院理学研究科生物学専攻 修了
1985年4月:中外製薬株式会社入社。新薬研究所配属腎性貧血治療薬エリスロポエチン(ESA製剤)の創薬に従事。
1998年4月~2001年3月:通産省工業技術院生命工学工業技術研究所(岡修一先生)技術研修員
1999年4月~2008年3月:筑波大学先端学際領域研究センター(山本雅之教授)客員研究員
2007年4月~2014年3月:金沢医科大学非常勤講師
2007年10月:中外製薬退社
2009年5月:株式会社ダステック設立
2015年5月:純炭粉末の米国特許取得(ADSORPTION CARBON, AND ADSORBENT Patent No.: US 9,034,789 B2)
2015年5月:純炭粉末の日本特許取得(吸着炭及び吸着剤 特許第5765649号)
「出す健康法」で健康寿命を延ばすのが夢!
最近は「腎臓にやさしい純炭社長食堂」のシェフとして社員さんの昼食を調理しています(笑)。
「週刊女性に食べる純炭きよらの原材料が紹介されました」への2 件のフィードバック
東京の田園調布にある整形外科は、ブラックジャックと呼ばれています。まず、喫煙者は、診療お断り。初診は、3万円は掛かります。これは、ホームページにも、記載されてます。しかも、院長の診療には、予約が、数ヶ月掛かります。診察は、丁寧に身体をさまざまな角度からさわり、検査値は、さっと見て終わりとにかく、患者の身体を1時間ぐらい触りまくります。私は、原因不明の関節炎と高尿酸値、高コレステロール、肝機能障害になやまされていましたが、整形外科の先生の出された漢方薬と黒いサプリメントを約1ヶ月続けて、完全に治りました。これも全て自由診療のお陰です。
小川様、コメントありがとうござました。
お体の調子が回復されて何よりです。田園調布のブラックジャック先生は存じ上げませんが、東京女子医大などでは真剣に統合医療が研究されているようですね。
統合医療学会などで専門の先生がたのお話をうかがうと、医学や科学で解明されている病気はごく少数であり西洋医学の限界を感じる一方で、生物が本来もっている病気と闘う力の偉大さをあらためて感じます。